Sunday, June 21, 2009

Marc Riboud



Marc Riboud (マルク・リブー)
1923年リヨン生まれ、パリ在住の写真家。

初めて写真を撮ったのは、1937年、14歳の時だった。
第二次大戦中は、1943年から45年までフランスのレジスタンスで活動し、その後1945年から1948年にかけてリヨンの国立高等工芸学校 (Ecole Centrale) で工学を学んだ。1951年まで技師としてリヨンの工場で働き、その後フリーランスの写真家となる。

1947年にロバート・キャパ (Robert Capa)、アンリ・カルティエ=ブレッソン (Henri Cartier-Bresson)、ジョージ・ロジャー (George Rodge)、デヴィッド・シーモア (David Seymour)によって結成されたマグナムに参加するため、1952年にパリへとやってくる。1954年、マグナムでの初任務のためにイギリスの工業都市の撮影に赴く。帰巴後、1955年にマグナムの正会員となった。

1955年から1960年にかけ、リブーは近東、極東、インド、ネパール、中国とソビエト連邦を訪れ、更にアラスカからメキシコまで自動車旅行をして周ったが、特筆すべきなのは1957年に西側の写真家としては初めて中国を撮影したということだろう。
リブーは1960年から1970年まで、アフリカ、アルジェリア、トルコ、中国、南北ヴェトナムとカンボジアで取材活動をし、人々を記録し続けた。この頃撮影された写真で有名なのは、アメリカのペンタゴン前で行われたヴェトナム戦争に対する反戦デモに対し、銃剣を突きつけた軍隊に花を差し出した少女を撮影した写真だろう。日本では 『銃剣に花を捧げる少女』 というタイトルで知られている。この少女の名前は Jan Rose Kasmir。邦題で検索すると、この少女が後にどういった人生を歩むことになったのかに触れたブログをいくつか見つけることができる。人生ってほろ苦い。また、この 『銃剣に花を捧げる少女』 という写真は、2003年にロンドンで行われたイラク戦争への抗議デモでプラカードとして掲げられることになった。

その後も近東や極東での取材、ポーランドやチェコスロバキアへの旅を続け、1975年から1976年にかけてマグナムの会長を務めるなど精力的に活動をしたが、1980年にマグナムの正会員から寄稿家に転向している。


さて、ジョック・スタージェス (Jock Sturges) のエントリで、スタージェスが少年時代に見て心に強く残っている写真のひとつに、このマルク・リブーが撮影したものがあると書いた。ここでスタージェスがそのことについでどう語っているのか引用してみたい。

私が惹きつけられたもうひとつのイメージは、マルク・リブーの"After the Bath (入浴のあと)"だった。池で真っ裸で泳いだ(スキニー・ディップ)若い女の子たちが、その後服を身につけている写真だ。私には男兄弟しかいなかったから、ことさら惹きつけられたのだ。このふたりの女の子は、私にとって神秘そのものだった。
『あの夏の最後の日』 より

今回ポストした作品の2枚目が、ここでスタージェスが触れている "After the Bath (入浴のあと)"。

WEBSITE OF MARC RIBOUD PHOTOGRAPHER :: PORTFOLIO :: ARCHIVES
マルク・リブー
Minneapolis Institute of Arts


読み込み中
クリックでキャンセルします
画像が存在しません

No comments:

Post a Comment