Tuesday, May 16, 2006

Sulamith Wülfing (Sulamith Wulfing)











Sulamith Wülfing (Sulamith Wulfing、スラミス・ビュルフィング、ズラミット・ヴュルフィング)
1901年1月11日に旧プロイセン (Preußen、Prussia) 領ライン州 (Rheinprovinz、Rhine Province) のエルバーフェルト (Elberfeld) で生まれ、1989年に亡くなった。
ドイツのアーティスト、イラストレーター。

母親の語る御伽噺や幽霊譚、若い頃に宣教師を目指していたという父親の世界の宗教問題についての話を聞きながら育ったスラミス・ビュルフィングには、幼い頃から天使や妖精やゴブリンや精霊のヴィジョンがあったという。
4歳の頃にはそういたものを絵に描き始めており、それがそのままビュルフィングの進む道となった。

1917年から1922年にかけ地元のエルバーフェルト工芸学校 (Elberfelder Kunstgewerbeschule) に通い、オットー・シュルツ (Otto Schulze) 教授とマックス・ベルヌート (Max Bernuth) 教授に指導を受けた。
途中、オットー・シュルツは第一次世界大戦で徴兵され、1919年の退役後、学校に戻っている。

スラミスは卒業後イラストレーターとして活動を始めたようなのだが、何時頃からなのか、いまひとつ判明しなかった。

1932年、スラミスは兼ねてから交際を続けていたオットー・シュルツと結婚。
スイス、スウェーデン、そして北米で展示会が開催される。
1933年に最初の子供を授かるも、生まれた直後に亡くなってしまい、この経験はその後スラミスの作品に影響を与え、生命の誕生と死を暗示するイメージは繰り返し描かれることになる。

ふたりはスラミス・ビュルフィング・フェルラーク (Sulamith Wülfing Verlag) という出版社を立ち上げ、活動を広げていく。
そして、ストックホルムで開催された展示会の折には、スウェーデン王室の家族から歓迎を受けるまでになっていたが、時代的にナチスの台頭してきた頃であり、スラミスの描く妖精たちがナチスの理念に適うはずもなく、目をつけられることとなる。
スラミスはナチスの理想に沿ったイメージを描くように要請され、それを引き受けざるを得ないところに追い込まれてしまう。
1943年、夫のオットー・シュルツは徴兵され、スラミスの暮らすエルバーフェルト一帯は工業地帯ということもあって連合の攻撃目標となり、日々攻撃は激しさを増し、住んでいた家と共に自身の作品の多くも失うこととなった。
スラミスは夫の死の知らせを受け、フランスへ逃げることを決意し、決行。
後にその知らせが虚偽であることが判明し、一家は無事再会することができた。

戦後、スラミスは精力的に活動を再開し、戦前以上の支持を受けることになり、ザ・フーやザ・ビートルズのメンバーもスラミスのファンだったという。

Wikipedia
Sulamith Wulfing Art - Online Gallery
Sulamith Wulfing Art Prints
History informations - Sulamith Wülfing - (11) - Newspaper informations

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